結局今回は何でもなかったと前置きをしておく。
いづれやってくる事で誰しも経験すること。死!
実はある経験から幼い時から”常”に死について考えていた。おそらく体験もさることながらこの性格によるところが大きいのだと思う。とはいっても自分にも忘れる瞬間や時間もあるし、そういう時期も。完全じゃなくても心の割合としてやや薄れる時も有る。だが多分普通の人より多かったのではないかと思う。(それがそうさせるのかそれだからそう考えるのか・・・根は暗いかなぁ?本当のいおもしろくないほどくそ真面目だけど誤解ばっかり・・・)
(特別悲惨な事件、事故等に巻き込まれたわけではなく、あくまでも比較的ありふれた生活を遅れてきたにもかかわらずこの性格と、めぐりあわせによるもの・・・でも”ありふれた”と云うのは違うかな。)
術後入院中の母親から初めて電話してきた。大したことないから見舞いに来ないでくれと、本人からも何度も言われていたので心配していたのだが、なかなか大きな声で話してきたので安心したのもつかの間
”お父さんが来ない!朝九時に医者から術後経過やら退院説明をする約束になっていたのに…”この電話は午後1時過ぎであった。父は大変厳格で約束の時間に遅れることを恥とする人で、連絡もしないなんてありえない。”数日前から熱っぽかったし、尋常じゃないくらい鼻血を出してた...様子を見に行ってくれない?”と
*前置きしたように今回は何でもなかったのだが、
私の実家は結構近くて車で30分ぐらい、あれやこれどうしたらいいものか、覚悟しているつもりでも何も準備や具体的なことを考え備えているわけではないので、”いよいよ来るべきことが来たのかぁ、入院中のお袋じゃなくておやじぃ?・・・とただただボー然としながらとにかく安否確認に!・・・・・・・
あれやこれや、結局何も無かったらいつものように日々追われる暮らしなのだが、改めてもう少し考えておかなくてはならないのだと思った次第。
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今回のちょっとした事件は、度肝を冷やした?というのか、いつも実感はあとから襲ってくるので
逆に少し冷静でいられたというか、いやそこまで行く前に解決してくれたからか?
次男として何も責任らしいことは考えずに大人になりある時、兄を失ったのだが、その時から常に戸惑いと不安を抱いていた。(ここでは兄に対する気持ちや兄の気持ちは語らぬことに)
それは両親に対すること、家族に対すること。
続くつもり・・・